「人力車夫の仕事は体力よりも、
おもてなしの心です」
もともと身体を使うことが好きでした。
最初に就職したのが自衛隊だったのも、そんな気持ちが作用したのかもしれません。
自衛隊にしばらく勤務して、なにかもっと他のことをしてみたいと思った時にも、一番に思ったことはカラダを使うこと。それも、できれば他の人があまりしていない仕事をしてみたいと思いました。
そんな時に目に付いたのが人力車夫でした。お客さんを乗せて颯爽と走る姿が粋で格好良かったんです。
ただ、実際に人力車夫の仕事について研修を受ける中で、これだ!と思ったのは、カラダを使う格好良さよりも、お客さんに尽くす喜びでした。
一見、カラダが資本のように見える仕事で、実際にカラダが動かなければ仕事にならないのですが、一番大切なこと、そして一番嬉しいことは、お客さんに喜んでいただくということなんですね。そのことに気づいた時、この仕事が天職のように思えたんです。
「レジェンドとの出会いが
私を本物の車夫にしました」
そうなると、やり始めたらトコトン追求するタイプなので、なんとか人力車夫の仕事を極めたいと思うようになりました。
一年半ほど浅草で車夫の仕事をした後、長崎の岡田敏治さんにお世話になることにしました。岡田さんはいわばこの世界のレジェンド的存在で、明治以来の人力車を今の時代に伝える方です。元々は、人力車夫をしていらしたのですが、その後ご自身で人力車を組み立てられるようになった方です。
縁あって岡田さんに師事することになり、車夫として大切なことだけでなく、人力車そのものについても徹底的に叩き込まれました。
そういう経験を経てきたので、当然ですが人力車なら何でもいいと思えません。
最近は人力車も需要が多くなって、大量生産的に工場で作っているものもあるみたいですが、岡田さんの人力車は特注のパーツをひとつひとつ組み上げていく手作り品です。
当然値段も違ってきますが、やはり造りがぜんぜん違います。全体のデザイン、個々のパーツの造形、そしてディテールに至るまで、数え上げたら切りがありません。それが結果的にお客さまの乗りやすさや、車夫の引きやすさにつながります。
「優れた人力車だからこそ、KURE 5-56」
人力車が優れたものである程、メンテナンスには気を使いますね。定期的な分解整備なども行いますが、毎日のようにお客さまを乗せて外を走るものですから、日々のメンテナンスが重要です。
汚れを落として磨き込んで、不具合がないか確認する。どんなときにもお客さまに気持ちよく乗っていただけるようにコンディションを整えています。
その時に不可欠なのがKURE 5-56 です。人力車は金属部分が意外に多くて、外を走っていると、すぐにサビが浮いてきます。
お客さまは人力車自体が珍しいので近くに寄って細部を見ることも多いのですが、そんな時にサビが浮いていては興醒めですからね。
それから音。幌の付け根や、梶棒(※人力車を引くための長い柄)の支点、そんなところからギシギシと異音がしたのではせっかくの優雅な浅草観光も台無しです。
音の出やすい部分は動きにも関係してきます。特に梶棒の支点や座席を支える板バネの支点などは、滑らかさが損なわれるとお客さまの乗り心地が悪くなるだけでなく引きづらくなりますし、場合によっては危険なこともあります。
それらすべてをKURE 5-56 に頼っているのですから私たちの仕事はKURE 5-56 無しでは語れません。以前、可動部のメンテナンスにグリスを使ったこともあるのですが、粘度のあるグリスは埃などが付いて黒くなってしまうんです。KURE 5-56 はそういう心配もないので最適です。
しっかり造られた人力車は、整備を怠らなければ50年は使えます。それだけの価値のあるものですから、メンテナンスには信頼できるKURE 5-56 を使っています。
「世界中の方に
浅草の魅力を伝えたいと思っています」
人力車観光というのは、ただ観光地を回るだけでなく、ただレトロな人力車で走るだけでもなく、車夫との会話を楽しんでいただくのもひとつだと思っています。
そういう意味では、人力車をご利用いただいている時間のコミュニケーションを楽しんでいただく、ひとつのエンターテインメントでもあると思います。
これから浅草はますます国際化が進んでいきます。世界中から日本を楽しみに来てくださる観光客の方々にも自信を持ってお応えしていきたいと思います。
Profile
佐々木 崇如(ささき たかゆき)
浅草人力車「吉兆屋」所属
1984年 東京都葛飾区生まれ
2010年 大手人力車会社に入社
2012年 人力車の道を追求してみたくなり、長崎人力車・俥屋代表の岡田敏治氏に弟子入りし、人力車制作を学ぶ。
2015年 浅草人力車吉兆屋にて、車夫として人力車を曳きながら整備担当として勤務