スペシャルインタビュー

第3回は、日本国内だけでなく世界的にも高い評価を受けておられるクロースアップマジックの第一人者、前田知洋さんにお話を伺います。

「マジックと人工知能、私の前には2つの道がありました。」

Q:前田さんがクロースアップマジシャンの道を歩み始めたきっかけは、なんだったのでしょうか。

前田知洋さん(以下/前田):マジックをしっかりと学びだしたのは、大学のマジックサークルに入ってからなんです。でも、思い返すと、子供の頃に見た世界中の一流マジシャンを集めたテレビ番組が、とても印象的でした。12歳ぐらいのときのことです。

Q:その時にマジックの世界に引き込まれたのでしょうか?

前田:そのときは、イタリア系マジシャンが着ていたタキシードや会場だったホテルオークラの華やかさのほうが記憶に残っています。

Q:その当時にはマジシャンを仕事として意識されていたのでしょうか?

前田:いや、当時はマジシャンどころか、カタカナの職業に就くといっただけでヒンシュクを買うような時代でした。マジックは趣味で仕事にするつもりはありませんでしたね。
そのころは、科学技術や工学に、みんなが夢を描いていた時代でもあったので、漠然とした夢をもっていました。

Q:その夢とは?

前田:ロボットってできるんじゃないかと…。ロボットといっても工場で製品を組み立てるロボットではなく、鉄腕アトムみたいなロボット。そんなわけで高校は工業高校に進んで、電子回路や機械について学び、そのあと東京電機大学に進学して、人工知能の研究をしていました。

Q:その後、アメリカに留学されますが、それもロボットの研究のためですか?

前田:いえ、語学留学です。ロボットも人工知能も論文は英語が多かった。じつはマジックの本も本格的なものは、ほとんどが英語です。
それと、ロボットも人工知能も製品化しようとしている企業はありませんでしたから、時代が進むのを待っていたのかもしれません。

「『そんな小さなマジックでは食えない』と、ずいぶん言われました。」

Q:マジックが趣味から仕事へ変わったきっかけは?

マジックは趣味としてずっと続けていたのですが、たまたま留学先のロサンゼルスでアカデミー・オブ・マジカルアーツのオーディションがあり、渡米の記念に受けてみたら合格したんです。
アカデミー・オブ・マジカルアーツは、世界的に有名なマジック専門の会員制クラブ「マジックキャッスル」の運営をしているので、そこに出演したり、海外のマジシャンと交流するうちに、だんだん気持ちが傾いていきました。

Q:前田さんは、少人数の観客に対して至近距離で演じるクロースアップマジックのプロとして世界的に高い評価を得ておられますが、クロースアップマジックというのは、欧米でやはり人気が高いのですか?

いいえ、大昔は大道や市場で人気を集めていましたが、僕がプロになろうとした1980代後半のころは、ホワイトタイガーやジェット機を消すなど、大掛かりなイリュージョンマジックが主流でした。
おもにトランプなどを使う、僕の好きな「クロースアップマジック」は、多くの人から「そんな小さなマジックじゃ食えない」とずいぶん言われました。

Q:前田さんは、アメリカの専門誌の表紙を飾って特集が組まれたり、英国王室のチャールズ皇太子もメンバーである「The Magic Circle London」のゴールド・スター・メンバーに選任されるなど、国内外で高い評価を得ていらっしゃいますね。

前田:私自身は、評価していただく理由はわかりませんが、マジックや人生で心がけていることが3つあります。「伝統を大切にすること」、「ユニークであること」、そして「できれば社会に貢献すること」です。こんな考えが評価していただく理由なのかもしれません。

Q:技術的な側面だけでなく、カルチャーとしてのマジックを大切にしているということでしょうか?

前田:ここにビクトリア朝時代(1830年頃〜1900年頃)に実際にイギリスで使われていた鉄製の手錠があります。当時大流行した脱出のマジックなどで使われました。
私はクロースアップマジシャンなので、この手錠をマジックで使うことはありませんが、ここには過去のマジック文化の実感があると思います。眺めたり触れたりすることで、当時のマジシャンの気持ちやマジック、そのマジックに驚いた観客に想いを馳せることができる。そんなことが僕にとって大切なんです。

「5-56 はまるでマジック」

前田:この手錠はロンドンの骨董市で見つけました。買ったときには全体が錆びだらけで、錠前も中で固着して動かなかったんです。
日本に帰ってからKURE 5-56 を吹き付けて外側を磨き、内部の錆びも洗い流して動くようにしました。
鍛治屋が造った鍛鉄でシッカリしたものですが、ここまで復活するとは自分でも思っていませんでした。KURE 5-56 の素晴らしさを実感しましたね。

Q:マジックとKURE 5-56 というと、あまり縁が無さそうですが、意外な接点があったということですね。

前田:ほんとうはマジックの道具にも使うんですが、それは種明かしになるので秘密ということで(笑)
それ以上に、私の中では、KURE 5-56 というのはとても親近感があるんですよ。

Q:日常的にお使いになっているということですか。

前田:工業高校、工学系大学でしたので、学生の頃から機械作業やモノづくりが日常の一部でした。
工作好きの少年だった頃には、動きをよくするための油はミシン油くらいしかない。テレビやラジオCMでKURE 5-56 を知り、「外国製品にはすごいものがあるんだなぁ」と感心していました。
使ってみると、まるで「マジック!」と言いたくなるほど(笑)
浸透性など潤滑剤としての性能ももちろんですが、スプレー缶から吹きかけるので手も汚れず、それに5-56 というネーミング。いかにもプロの道具という感じで特別な存在でした。

僕がKURE 5-56 に親近感を覚えるのは、「僕が理想とするマジックの3つの心得」と共通しているからかもしれません。

Q:「伝統を大切にする」、「ユニークである」、「社会に貢献する」ですね。

前田:そうです。過去のマジックやマジシャンをリスペクトする。ユニーク、唯一無二であること。お客様に喜んでもらえたり、仕事として社会に役に立ちたい。この3つを心がけています。KURE 5-56 も同じだと勝手に想像しています。
50年以上に渡り、さまざまな製品が登場してもトップランナーであり、唯一無二の存在だと思います。そして使う人に喜びや感動を与え、社会の役に立っている。
まさに、KURE 5-56 が実現していることは僕がマジックで心がけていることと同じだとKURE 5-56 ファンながら思っています。

Q:性能だけではないんですね。

前田:性能が優れているのはもちろんですが、やっぱりそれだけだとファンになりにくいですから…。

「先人の形を真似るのではなく、先人が探求した先を目指す」

Q:最後に今後の展望をお聞かせください。

前田:僕は武道を趣味としてやっていますが、好きな言葉に「先人の形を真似るのではなく、先人が探求した先を目指す」があります。この考えは、ロボットや人工知能を研究している人たちも同じです。
たぶん「これからマジックをやりたい」、「プロになりたい」という人がいるかもしれません。そんなときは、他のマジシャンのスタイルや形、トリックを真似るのではなく、「そのマジシャンが何を探求していたのか」を想像してみるといいと思っています。
そんなことが、新しいトリックを生み出し、人々が豊かになり、結果として成功する近道だと信じています。
もちろん、僕自身もそれを心がけていくのはもちろんですが…。

前田さんご自身のマジックに対しての真摯な想い。そして、KURE 5-56 とマジックとの共通点。その手から生み出されるマジックにも負けない興味深いお話を伺いました。前田知洋さんの今後のご活躍に期待しています。

Profile

前田知洋

前田 知洋(まえだ ともひろ)
東京都出身
1988年 米国アカデミーオブ・マジカル・アーツのオーディションに合格。世界的に有名なロサンゼルスのマジックキャッスルに日本人最年少で出演。
1990年 優れたマジシャンへ贈られる厚川昌男賞を受賞。
1994年 マジック界のオリンピックといわれる世界大会、FISMの横浜大会ゲスト。1997年には、同ドレスデン大会へ出演。
2002年 「その年に最も活躍したマジシャン」に贈られるマジシャン・オブ・ザ・イヤーおよび、大賞のジャパン・カップ 2001を受賞。
2005年 ベスト・クロースアップマジシャンを受賞。英国王室チャールズ皇太子もメンバーである「The Magic Circle London」の100周年記念イベントのゲストで招かれる。同会の最高位のゴールド・スター・メンバーを授与される。

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